私が旅行会社の添乗員をしていた頃の話である。
確かあれは、『食欲の秋!味覚の紅葉と紅ズワイガニ食べ放題!』などと銘打ったバスを使った○○島ツアーの添乗をした時のことだった。
朝8時に池袋を出発し、関越道経由で新潟港からフェリーに乗り島へ。
夕方にはホテルに到着の予定が、途中様々なアクシデントにより、ようやく私たちがホテルについた時には、すでに日は暮れ辺りは真っ暗になっていた。
「遠い所、お疲れ様で御座います。あとの、お客様のご案内の方は手前供でやります。
添乗員さんは、どうぞお部屋の方で御夕食まで、ひとやすみなさって下さい。」
バスのお客全員のチェックインをすまし、夕食場所の説明などを終えた私にホテルの支配人が話しかけてきた。
「お陰様で、今日は久しぶりの満室でして、どたばた騒ぎで申し訳ありません。」
「じゃあ、私はバスの運転手さん達と一緒の部屋ですね。」
お客様最優先のこの業界。こういった場合は添乗員や運転手などは、一番安い部屋で相部屋になるのがセオリーであり、新人の添乗員や運転手はこういった機会に先輩の経験談や情報を教えて貰えるいい機会なのである。
私も、その日のバスの運転手と意気投合していたため、少々それを期待していた。
「いいえ、添乗員さんに相部屋なんて。
とっておきの部屋を用意してありますので、どうぞ、そちらでごゆっくりおくつろぎください。」

「とっておきの部屋?」

支配人はそう言うと私を部屋まで案内した。

その部屋は、驚くほどに綺麗な部屋であった。
16畳程の広さの部屋に小規模ながらも個室風呂まで付いている。
窓からの眺めもたいへんに良く、2階の窓からは「蛍イカ漁」に行く眩い光を放つ漁船たちがまさに今、港を出て行く姿が見える。
「おかしい…。」
それは、あきらかであった。

今日のこのホテルの宿泊者は間違いなく多いはずである。
なぜなら、私のお客さんが2人部屋を希望したが満員を理由に断られているのである。
加えて、入り口に掲げてある『歓迎』の看板には5コースものツアー名が書いてあった。
通常なら、この部屋には最低4人、この状態ならば6人は宿泊させる事ができるはずである。
私には、嫌な予感がしていた。

         *     *     *
案の定、私の予感は的中した。
大広間でお客さんとの夕食を終え部屋へ戻った私はドアを開け驚いた。
部屋の中に線香の臭いが立込めているのだ。
「やられた…。」
しかし、他の部屋が満室と分っている今、部屋の変更などできるはずもない。
しかたなく、早めに風呂に入りさっさと寝てしまうことにした。
もちろん、この部屋にある風呂に入る訳もなく、大浴場へとむかった。
風呂から戻ると、再び私は驚いた。
真っ暗な部屋の中に付けてもいないはずのテレビが明るく光っていた。
ここの、テレビは一昔前のコインを入れて数十分見れるというものであり、番組もNHKを覗けばアダルト以外はまともに見れない。
したがって、かってにテレビが付くはずもなく、また万一私が消し忘れたとしても、入浴中に消えているはずなのだ…。(残り時間は有効利用いたしました…)
 私は、がむしゃらに布団を頭からかぶり眠った。


- ドン!!………ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン! -

激しく何かを叩く音で、私は目を覚ました。

それは、右隣の部屋からであった。まるで壁を叩くかの様に部屋全体が痺れる、そんな感じの音であった。
「うるせーな!ヨッパライが…。まったく、寝かしてくれよ。」
外はなお暗く、手元の時計は2時を少しまわっていた。
しばらくするとその音もやみ、ふたたび静寂が戻ってきた。
私は、布団をかぶった。
途端、部屋全体の空気が重くなり私は身動きできなくなってしまった。

- パタ・パタ・パタ・パタ・パタ・パタ・パタ・パタ -

枕元を小さな足音が走り回っている。
はしゃぐように走るそれは、あきらかに子供の足音だった。
          *     *     *
いつの間に寝てしまったのか、私が気が付いたのは翌朝のことであった。
このツアーは朝早くホテルを出発のため、私は、昨夜の事など気に掛けないよう急いで身支度を済ませ集合場所であるロビーへと部屋をでた。
廊下へ出た途端、ゾッとなった。

夜中、壁を叩いていた右隣の部屋がないのだ。
いや、正確に言うと扉に目張りと釘が打ち付けてあり、現在は使用されていなかったのだった。
ロビーは5種類ものツアーが入り乱れパニック状態であった。
ツアーの出発準備に追われる私の耳に、支配人が他の添乗員と話す声が聞こえてきた。

「昨日は、相部屋で窮屈さまでした。今晩はとっておきの部屋をご用意しておきますから…」
「……………………!。」
          *     *     *
後日、ベテランの添乗員から聞いた話では、あの小さな足音の主は、以前右隣の部屋の無理心中で亡くなった幼い少女のものだと言うことだった…。