私の高校時代の話である。

友人の恵ちゃん(本名)は帰宅部の私とは違って、剣道に命を賭ける『鈴の助ガール』(なんじゃそりゃ?)であった。
弱小剣道部にとって、夏休みに催される大きな大会は、部の命運をかける大切なものであった。
部活の花道を行くバレーやバスケと違い、剣道は、 「地味」、「スリ足の練習が不気味」、「体育館を床掃除する人達」等という、いまいちメジャーになりきれないイメージを背負っている。
ゆえに、大会で勝利することは、体育館の使用権の拡大や、 マイナーイメージの払拭、部の予算の増加など、 剣道部に至福をもたらすはずなのだった。
当然、部員たちの練習に熱がこもるのも無理からぬことであった。

前期の期末テストがやってきた。
帰宅部の私は、多少早く帰宅できる(勉強もせずにのんきにしていたが)程度のことであるが、部活をしているものにとっては、盆と正月が一緒に来るようなものだ。
皆が勉強するために家に急いで帰るのに、部活は休みじゃないからである。
しかも、早い時間に解放されるため、その分早く練習に召集されるのだった。

メグちゃんは熱血部活少女だった。
テスト中にもかかわらず一生懸命練習に励んでいた。
世界史のテストを前日に迎えたその日もメグちゃんは、いつも以上の練習をこなしへとへとの体を引きずって帰宅した。
その晩、机に向かおうとしたメグちゃんは、あまりにも疲れから、一夜漬けをするのをあきらめ、代わりに早朝、朝(浅)漬け?をすることにした。

夕食後、オフロに入ってしまうともう、「だるだる」である。
部屋に戻り目覚ましのセットをしたかどうかのうちに、早々と寝入ってしまった。

「………!」

数時間後、メグちゃんは目を覚ました。

「いっ、痛いっっつ!」

ふくらはぎに異様な痛みを感じたのだ。体を動かそうとすると脚に激痛が走る!
彼女には一瞬、なにが起こっているのか理解できなかった。
ようやく、もうろうとする意識の中で、薄っすらと眼を開けると、布団の裾に座り込む、背中を丸めた老の影があった。

「ゆっ!幽霊?!」

事態を把握したメグちゃんは、慌てて眼をぎゅっと閉じると、一生懸命、自分の知っている限りのお経を唱えた。
「なんまんだぶ、なんまん…なんみょうほうれん…アーメン…。」
……しかし脚の痛みが消える様子はない。
「お…お経が効かない……?」
初めて体験する恐ろしさに、メグちゃんは眼をぎゅっと閉じた…。 
しかし、状況に変化がない。
メグちゃんは恐怖におののきながらも、脚を動かそうとじたばたした。
「な、なんとか脚は動かせる!」
脚が動かせるとわかって少しゆとりの出てきたメグちゃんは老婆に気づかれないように細く眼を開けて布団の裾を見つめた。
「いなくなっていて!」
と、いうメグちゃんの思いもむなしく、
老婆は背中を丸めて布団の裾に座っている。
今まで霊体験などしたことがないメグちゃんの頭の中は、友人の金縛りの体験や過去に聞いた怖い話などが走馬灯のようにぐるぐると渦を巻きながら回っていく。
「脚が動くなら、隙をみて逃げ出した方がいいのかもしれない…。
いや、老婆が口裂き女(*1)みたいにとてつもなく足が速かったらきっと追いつかれて、殺されちゃうかも知れない…。
いろいろ考えても、今ここにある危機から安全に脱出する方法はなかった。
最後にひとつ、メグちゃんの頭に浮かんだのは
「このまま朝がくれば生き延びられるかも…」
というせっぱつまった思いであった。

メグちゃんは老婆に自分が眼を覚ましていることを気取られないように、息を潜めて寝たふりをして、
「帰って下さい、帰って下さい! 私じゃあなたを助けらません、
ああ、早く朝になって!なんまんだぶ、なんまんだぶ!」
と心の中で絶叫を繰り返していた。
メグちゃんが必死に祈ろうが祈るまいが、大抵のところ朝は来るものだ。
やがて、うっすらと空が白んでくると、メグちゃんは心を決めてその硬く閉じた眼を開き、布団の裾を見据えた。

「……っ!!」

さっきまで背中を丸めた老婆のいた布団の裾あたりには見覚えのある物体が置いてあった。
いつも使っているはずの『扇風機』、それこそが老婆の正体だったのだ。
明け方まで老婆の影と心の中で格闘していたメグちゃんはもう「真っ白な灰」になっていた。
学校に来るのもやっとであった。
一度切れてしまった緊張の糸を再びピンと張り詰めることはとてつもなく難しいものだ。当然テストの結果などは……であった。

メグちゃんは一部始終を私たちに話すと不思議そうにいった。
「でも、あの脚の痛みはなんだったのかなぁ。」
友人の一人が言った。
「それって、こむら返りじゃない?運動しすぎて疲れたときとかよくなるよね。」

「………!!」

……メグちゃんはこむら返りを知らなかったのだった。





(*1) 口裂き女
   昭和の生んだ伝説のトップアスリート。
   50mを3秒0で走るという驚異的なスピードは日本中を震撼させた。
   そこら中を走りまわったらしく、全国で目撃記録(非公認)が残っている。
   これには、かのF・ジョイナー(*2)も、直接対決を避けたとの噂も…!
   「わたし、きれい?」は名言。


(*2) F・ジョイナー

   アメリカの生んだ、伝説のトップアスリート。
   LAオリンピック・女子100Mを女子世界記録で優勝。
   併せて、「井出らっきょ」との100M対決に敗れた記録をも持つ。
   早いんだか遅いんだかわからない、不可解なゴールドメダリスト。
   故人。