私の高校には当時で築40年の木造校舎があった。
戦争中は兵舎として使われていた、というよりも元々兵舎用の建物だったらしい。
(○○駐屯地、○○中隊と焼印の入った備品が構内あちこちにあった)
当然ながら古い学校にはゆうれい話はつきものである。
やはり木造校舎には出るとうわさされていた。
それも兵隊のゆうれいである。

雨の日はたくさんの足音がザッザッと行軍しながら通っていくとか、
その手の話は、いろいろ昔からいい伝えられていた。
つまり、何がでてもおかしくない状況だったのだ。
         *   *   *
私は文化祭の実行委員だったので、委員会室のある木造校舎に
よく出入りしていた。
さすがに老朽化のため、一般教室はすべて新校舎に移っていたので、
普通の生徒はまずこの校舎に入らない。
しかし、人気のない気味の悪い廊下、建て付けの悪い扉や窓も
全く気にならないほどに慣れてしまっていた私は、夕方暗くなっても電気をつけることなく校舎内を歩くことが可能であった。
ある日会議が遅くなり、最後に部屋をでてから、階段を降りはじめた。
一段ぬかしで元気よく降りていったのだが、最後の一段で階段が余ってしまい、
タイミングを外された私は、無様に転げおちてしまった。
下にいた友人たちはげらげら笑っていたが、しばらくして皆黙りこんでしまった。

ここの階段は普通の階段ではない。

兵舎として建てられた当時、ここから出兵してゆく兵士の縁起をかつぎ、
『13』という数字を避け、あえて上12段、下14段とし、中央に踊り場を設けた。
つまり一段ぬかしで降りて、偶数の階段を余らせて転ぶことは、絶対にあり得ない。
しかも、装備を付けた兵隊が使用しやすいように、かなり幅広に作ってある階段だ、
気合を入れて飛ばねば、二段ぬかしは不可能なのである。
私たちは、文化祭や入学式で、自分のところの木造校舎を説明する時に、必ず司会者がいうおきまりの文句を思いだした。
「この木造校舎は戦前から建っている『おばけ校舎』でして、兵隊のゆうれいは出るわ、
階段の数は変わるわ で、大変なんですよ。」
本当にそういうことはあるのだ・・・・・・。



そして、私が高校2年の夏、木造校舎は老朽化を理由に、取り壊された。
もうきっとゆうれいは出ないだろう…。