私の母親は、私の物心ついたからころから、不思議な力を見せていた。
その力とは「身内の死がわかる」というものだった。
その的中率はすさまじく、私のわかっている限りハズレはない。

私がまだ幼稚園に通っていた頃、東京のとある会社の社宅に住んでいた時の話だ。
それは年末に起きた。
30年以上昔の年末といえば、今のように主婦はのんびり出来なかった。
なぜなら、お正月から松の内(1月7日)までは、何処の商店も完全にお正月休みで、食料を一切買うことが出来ない。
当然、今のにコンビニの様に年中無休の店もなく、晦日、大晦日は主婦にとって、年末年始の買い出しと、7日まで食べる分のおせち料理作りに大忙しであった。
当然、私の母も例年に習って、この時期は大忙しのはずであった。
しかし、その年に限って一向に年末年始の準備を始めない…。
買い出しはおろか、おせち料理などの下ごしらえを晦日までに済ませ、大晦日はゆっくりするはずの母とは様子が違っていた。

そして、ついに晦日になっても何もしようとはしない。
これには温厚な父も、怒りだしてしまった。
「一体どういうつもりなんだ?!」
「ごめんなさい。何か今年は、夢でばあちゃんが何もしないように…って言ってるのよ。」
「ばあちゃんって、お義母さんの事か?」
父は首を傾げた。
母の母(ばあちゃん)は、確かに歳はとっているが存命中で、しかも元気である。
こんな時期におかしな事を言う物だと思いつつ父は冷静に母を諭した。
「実際、お母義さんは元気なんだし、変な夢を見たからって気にしちゃだめだよ!」
「でも…」
「まあ、まあ。とりあえず、明日早起きして、みんなで上野に買い出しに行こう!」
父の勢いに母は渋々その提案を承諾し、翌日に備えその夜は早く寝ることにした。

翌朝、朝7時に起きた私たちは、起きると同時に上野へ出掛ける準備を始めた。
大晦日で上野がごった返す前に買い出しを終えて、早く帰ってこようという考えだった。
しかし、朝早く起きた割に一向に出掛ける準備が進まない。
昨日まで、買い出しの準備を一切していなかった為か、財布が無いとか、買い物袋が見つからないとか、そんな些細な事が続いた。
気づくと時間はすでに9時をまわっている。
「これじゃ、何のために早起きしたのか…。」
父がぼそっと呟いた。

ようやく家族全員が出掛ける準備を終え「さぁ出掛けよう!」と玄関に立った時、玄関のドアを誰かが叩いた…。
「電報です! おはよう御座います!電報です!」
それは、ばあちゃんの死を知らせる物であった…。
出掛ける準備の整っていた私たちは、その足で上野へと向かい、ばあちゃんの待つ新潟へと向かった…。

死因は真夜中の脳溢血で誰にも看取られない寂しい最期だった。

ばあちゃんは亡くなる2日前から「晦日に風呂に入りたい」と言っていたという。
家族は大晦日の年越しに入るのだから、晦日は我慢して欲しいと頼んだが、「大晦日には入れなくなるから…」と泣いて頼んだという。
「本人は死期を知っていたのかなぁ…」
実家を守る弟は、泣きながら母に言った。
        ※        ※        ※
葬儀の後、母は弟にこう言った。
「良かったよ。あと少し電報が遅かったら、みんなして出掛けていたところだったんだよ。それにしても、うちの電話番号、あんた知らなかったっけ?」
こう言われた弟は、怪訝そうに、
「嫌だなぁ姉さん。何回も電話したよ。その度に○○さんお願いしますって、頼んだし…。でもその度に電話に出た人が、電話をブツって切っちゃうんだよ。だから、仕方なく電報打ったんだよ。社宅の共同電話もああいうときは不便だよなぁ…。」
「?」
母は、首を傾げた。
「そんなはずないよ。だって今、社宅に居るのは私たちだけだし、 第一その電話番号は
うちの部屋の中にある電話の奴だよ。」
とたんに、弟は真っ青になって、がたがた震えだした。
「どうしたんだい?きっと間違え電話でもしてたんじゃないの?」
弟は、違うと言わんばかりぶるぶると首を振った。
「姉さん、間違いじゃない…。電話が切れる時にいつも一言、言われてたんだ…」
「なんて?」
「まだ、準備できてないから…あとで…。 って…。」
「…!!!…」
「…そういえばあれ、ばあちゃんの声だった…。」

母は「きっと自分のせいで娘を慌てさせないように」との、ばあちゃんの最後の心遣いだったんだろうと、涙を流しながら語ってくれた。