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私が以前、勤めていた会社での話である。 会社は東京・高田馬場駅からそう遠くない繁華街の、少々古びたビルの6階にあった。 このビルには 、いつからか6階トイレに夜中、何かがいるという噂が誰いうとなく広まっていた。 しかし、実際にその何かを見たなどという具体的な人物の話もなく、この手のビルによくある怪談話のひとつであろうと誰もが思っていた。 ある日、ビルの管理会社がトイレの芳香剤を従来の床置き型の物からトイレットペーパーのホルダー型の物に取り替えた。 これはペーパーを押さえる軸の部分に芳香剤とセンサーが入っており、ペーパーを引き出すたびに香りが漂い数種類の音楽が流れる仕組みの物であった。 これが結構会社の中で評判となり、トイレを出たあと何の音楽が鳴ったのか皆で話したりするのが流行ったのだった。 しかしその一方、良くない評判も次第に広がり始めた。 夜中、一人で泊まっていると誰も居ないはずのトイレの中からトイレットペーパーを引き出す音とともに『メリーさんの羊』が聞こえてくるというのだ。 噂は会社中にあっという間に広がり、以来夜間勤務を希望する社員が激減! 夜間勤務を希望する者が1人もいなくなる日がしばしば起きる有様であった。 そこで会社側は夜間勤務を従来の希望者制から当番制へと変更し、強制的に夜間勤務を全社員に義務付ける事にした。 そしてある冬の日、夜間勤務の順番が私にまわって来た。 部下は早々と帰宅し、私はひとりで溜まりに溜まった書類の整理に追われていた。 ふと時計を見ると時間は夜中の2時になっていた。 空腹になった私は机の中から買い置きのパンを取り出し少々遅い夜食を食べ始めた。 2個目のパンを頬張っていたときであった。有線の音楽ではない、奇妙なメロディーが廊下の向こうから聞こえている。 それは紛れもなくあの『メリーさんの羊』であった。 とっさにトイレへと走って行く。 しかし私がトイレの入口まで来るとメロディーは突如ピタリと止んだ。 今夜、夜間勤務をしているのは、たしか私1人で、このフロアーには誰も居るはずはない。 念の為にトイレの中に入り、入念に人気の確認をしたがやはり誰もいない。 つい先程まで鳴っていたはずのペーパーのホルダーも確認した。 しかしホルダーの何処にも異常はない。 メロディーを鳴らすセンサーにおいては、空調から出る風程度の振動や、少々つついた程度の衝撃では反応すらおこらない。 - おかしいな。気のせいだったのだろうか… - 何の変化も見出せない私は、仕方なく事務所へ戻るべくトイレを後にした。 1歩2歩踏み出した私の背後から『メリーさんの羊』が静かに聞こえてきた…。 × × × 後になってから聞いた話だが、以前このビルに管理会社が入る前はオーナーが 屋上にプレハブを建てて住んでいた。 ある夜中、トイレへ行こうとオーナーが屋上から最上階である6階のトイレへと降りていった。 しかしその途中で階段を踏み外し、その拍子に心臓発作を起こした。 そして翌朝トイレの前に変わり果てた姿で倒れていたのを従業員に発見されたという。 - 『メリーさんの羊』を鳴らしているのが、このオーナーかどうか今となっては知るよしもない - あれから数年。あのビルでは、今夜も『メリーさんの羊』が流れているのだろうか。 |
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